A ready-made demo tape

淡々とした日記

20190609

到着してから一週間経って、だんだんと「外国に来た高揚感」が薄れはじめ、思っていたような生活ができている点とそうでない点が意識されてきた。

 

予報通り朝からひんやりしておりしびしびと雨が降っていた。

今日は夫に料理してもらうことが多かった。昼は辛い麻婆豆腐、夜はラムのロースト。

ラムのローストにどうしても香菜を載せたくて、日曜日も開いているスーパーを探して、トラムに乗って買いに行った。出かける前、インナーダウンになるくらいの薄いダウンを羽織ろうとすると、夫に「さすがにそれはやりすぎでは」と言われたので止したが、街中に出てみると薄いダウンを羽織っている人が何人もいた。皆あまり”衣替え”をせずにどんな気候でもしのげるようなクローゼット体制をとっているのだと思う。あと子供はキックボードに乗ったままスーパーに入ってくるのでびっくりする(自転車ごとトラムに乗ってくるのにはもう驚かなくなった)。

冷蔵庫の庫内温度の設定を低くしすぎていたらしく、アスパラガスやきゅうりやバジルが凍ってしまっていた。バジルは水につけたらどうにかなるかと思ったが、ゆるいわかめみたいになってしまってどうしようもなかった。何もうまくいかないなどとぐずぐず言っていると夫がいやそうな顔をしていた。

夫の料理と自分の料理と、何が違うのか。人につくってもらっているからおいしく(嬉しく)感じやすい、というのもあるだろうけど、夫の料理はなんというか派手だ。盛り付けにもすごく凝っているし、はっとするような味わいだ。鼻がよく、香り付けとかにもうるさい(私は、レシピ通りに「仕上げに香り付けのためにごま油を回しかける」けれど、それが香り付けになっているのか正直ピンときていない)。

他方、自分の料理は日々生活していくための食事という感じが否めない。品数はある程度そろえたいと思うけれど、見た目はすごく地味。生活は料理と食事だけではなくて、他のこともしないといけないし、毎日毎食ゴリゴリにこだわっている時間の余裕はない。でも、夫の料理の、ワー楽しい!おいしい!みたいな感覚を自分の料理からも発せられないものか。

ラムのローストはおいしかった、昨日のレストランのお肉よりおいしかったかもしれない。

20時を過ぎてから雨が止んだので、ベランダにワインを持ち出して飲み、それでも足りなくて、缶ビールを持って散歩に行き、増水した川のそばを歩いた。川から靄が立っていた。日没前後の時間帯というのも相まって、日本だったら明け方午前5時くらいのような眺めだったが、21時だというのが信じがたかった。