A ready-made demo tape

淡々とした日記

20190614

目覚めてすぐに大谷のサイクルヒットを知った。

先週の金曜日に申請したビザ、もう承認されたらしいことを夫からのメールで知る。申請→承認までの所要時間、夫よりも遙かに早い。

夫は仕事が忙しく(東京の時以上に働いているのではないか)全然帰ってこないので晩御飯も一人で先に食べる。鶏肉とローズマリーとじゃがいものロースト、チコリとマッシュルームとくるみのサラダ。自分はそれでおなかがいっぱいになってしまったけど、夫が食べるかなと思ってにんじんのラペも作った。にんじんは千切りにされたのがパックにどさっと入って売られているので便利。サラダ用に、様々なカット野菜がパックに入って売られているが、夫曰く葉物野菜がカットされたものは賞味期限通りに腐るらしい。にんじんの千切りは日持ちするとのこと。

夫は日付が変わる直前にようやく帰ってきて、私が作ったものをがつがつ食べたうえにカップラーメンに卵を落としてすすっていた。

 

今はKindleで『ギケイキ2』を読んでいる。口汚く罵り合う場面など、つい声に出して読んでしまう。不自然にならずに、一息で読めるようにちゃんと言葉が選ばれているので、絶対著者も声に出して原稿を確認しているのはないかと思ってしまう。そして、声に出して読み上げておかしなところのない文章は、当然黙読でもすっと自分の中に吸い込まれてくるようだ。理解度が違う。これはフィクションであるかどうかを問わずそう思う。

もともと自分が関西出身なので、素朴な所感を書くときは関西弁を強めに書くほうが自分の気持ちが伝わる感じがして、好んでそうすることが多いが、直近で読んでいるものに文体が引きずられがちになり、深く考えずにタイプしていると『ギケイキ』風になりそうでそれはちょっと恥ずかしい。

同世代でも、古くは椎名林檎やくしまるえつこの歌詞、最近だと川上未映子や植本一子の文章に影響受けすぎな感じのものを見かける。あと、こういう文章を書きたいと思って素人がまねをして痛い目に遭いそうやなと思うのは岸政彦。